考える力、動く力

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「先生って面白いね!」で満足してよいのか?

 「先生って面白いね!」「数学って面白いね!」どちらが嬉しいか?私は迷わず後者を選びます。私達は芸人ではありません、私達が面白くても仕方ないのです。教師に魅力があるのは当たり前の最低条件です。私達の仕事は学校の先生が全員に対して行うことができていない「教科の真の楽しさ」を教えることです。

 私が大手塾で働いていた時同僚の講師がよく受けていた言葉が「先生おもしろい!!」確かに非常に面白い人で、友人としては楽しい人間でした。ただ、良い先生だったかというと私からすると最低の先生でした。成績は上げられない、「勉強なんてとりあえず適当にやって悪い点とらなきゃいいじゃん」というようなことを平気で言う。そんな先生でした。

 子供達ってまじめな一面もありますが、楽なほうへ流されやすいのも事実です。そんな子供達に「宿題が少なくてテキトーで優しくて面白い先生」が現れたらどうでしょう?ついついそちらに流れてしまうんですね。塾での先生のふりわけは基本的には子供との相性です。というのも子供と相性がよければ多少成績が上がっていなくても苦情がでないからです。ひどいことです。

 しっかりした生徒はそんな先生は見抜きます。先生の表面的な話には満足しないのです。私達はそんな頭の良い生徒を育てたいと日々思っています。

 やはり「先生って面白いね!」は言われて当然。「数学って面白いね!」「国語ってこんなに役にたつんだね!」「英語楽しいなぁ!」「理科って身の回りのことに役立つね!」「社会を知ると街の見方とか変わるよね!なんか得した気分」こういう言葉を引っ張り出すのが本当の先生。考動力研究会はこのレベルの講師を育てています。

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家庭教師は生徒達の何か?

 家庭教師や塾講師で大学生のアルバイトを雇っているところはたくさんあります。ですが、その基準たるやひどいものがあります。

 履歴書を持ってゆき中学レベルのテストを受けてちょこちょこっと面接をすればもう家庭教師(塾講師)です。当然企業のほうがそういう適当な取り方をするわけですから講師の質も保証はされません。

 そんな大学生家庭教師(塾講師)にお子様を安心して預けられるでしょうか?ご家庭からは見えなくなっているので無理もありませんが、私は疑問でなりません。

 私が過去にお邪魔したご家庭の中には「先生聞いてください!前の家庭教師の先生はひどかったんですよ!挨拶もなってないし、教え方も乱雑で、子供は嫌がってました」というお話をされる方「先生に来ていただいて家庭教師の印象が変わりました。もっと適当なものなのかと…」というお話をされる方がいらっしゃいました。

 私は褒めていただけているので大変嬉しいのですが、ご家庭にこのような声を発せさせる現状に非常につらい思いをしました。何かが間違っていると思います。

 家庭教師や塾講師というのは成長著しい子供たちの学力面をサポートをする役割を担っていますが、果たして学力面だけでよいのでしょうか?

 私はそうは思いません。やはり、人間的にもおもしろい先生であって欲しいのです。生きることに前向きで意欲的であって欲しい。子供たちに「この先生おもしろい!」と本当の意味で(笑わせるのが上手とかそういうことではなく、知的におもしろいという意味です)思ってもらえるような先生でないといけないのではないかと。

 そのためには家庭教師自体が自分達を磨く必要があります。自分のやるべきことをきっちりやり、日々新しい経験や良書に貪欲であって欲しいのです。

 自分のやっている(やりたい)学問や力を注いでいることを語れない大学生は私たちの「考動力研究会」では取らないことにしています。

 もちろん、学問は語れないけれど自分の夢ややりたいことについて非常に詳しく話ができたり、アルバイトの経験がゆたかで人間的に非常に素晴らしいと思える人はしっかり取ります(^_^)つまり、何か自分の中にしっかりとしたものを持っている人を取りたいのです。人間的な魅力がある人ですね。

 家庭教師はご家庭に直接入って指導を行いますから、本当に色々な意味で影響力が強いものです。ですから、派遣する側は生徒さんの目標となりうる、生徒さんに勉強だけでなく自分で考え自分で動く姿勢を学んでもらえる家庭教師を選び、そして育てなければならないと思い、日々精進しています。

頭が固いと情報が入ってこない

 頭が固いと受け取る情報量が少なくなります。世界に向かう姿勢や態度によって、受け取ることができる情報量に差ができるのです。

 どういうことでしょうか?例えば、今ここに「Aさんのことが大嫌いなの!」と主張するBさんがいたとします。あなたはAさんも大切な友人だと思っています。Bさんの態度を変えることはできるでしょうか?

 大変難しいのが現実です。特に原因無く主張している場合は難しいと思います。表面上は理由を挙げていても、その理由が排除されたからと言って好きになるということはなかなか珍しいことです。

 なぜでしょう?あなたはきっと「Aさんはこういう良いところもあるし、あなたのことを敵視もしてないわよ」とか「AさんはBさんのこと褒めてたわよ」などと色々手をつくして二人の間を取り持とうとすると思います。

 ですが、Bさんは自分の姿勢を決めてしまっているので、そのような情報は入ってきません、入ってきたとしてもその理由付けを悪いほうへ悪いほうへ解釈します。「敵視してないように見せるのがうまいだけよ!」「褒めていた?またおべっか使って!!」…

 もちろんこんな人ばかりではありませんよ(笑)

 しかし、人間には多かれ少なかれこういった「固定観念の網」とでも言うべきものを持ってしまうことがありえます。

 「こうに違いない!」という強固な思いは、良い場面で発揮されるとすさまじい力となるのも事実ですが、あまりに決めつけが激しくなってしまうと冷静な判断ができない、周囲が見えなくなってしまう、新しい知識や状態についていけなくなる、などの問題が出てきます。

 人間は主観から逃れることはできないと思います。それは仕方がありませんが「人間は固定観念を持つものである」「情報を制限し誤った決定を下すことがある」ということをメタ認知的に知っているだけで事態はかなり変わってきます。

 私も気をつけなければと普段から用心しております。といっても、ついつい色眼鏡に手が伸びてしまいます(^-^;反省の連続です。

メタ認知的視点を身につけよう

自分のしていることを自分で客観的に観察や判断をすることってありますよね。例えば、ダイエットの計画を立てるときなどどうでしょう?

 無理な計画を立ててしまった自分をふと見直して「いやいや、自分は毎日3km歩くなんて厳しい計画を立てると、必ず面倒になってやめてしまうだろうな」などと言うときです(^_^)これをメタ認知といいます。

 メタ認知とはなんでしょうか?自分のしていることを一つ上の視点から客観的に認識するということなんです。自分のことを見つめるということですね。認知心理学という分野で言われている知見です。学習においてもこのメタ認知、非常に大切になってきます。

 自分がどのような覚え方をしているか、自分の間違いやすい問題はどのようなものか、自分の現状はどうか、自分の目標は何か、目標を達成するにはどうすればよいのか。様々なメタ認知が考えられます。

 我々家庭教師の仕事は生徒達に様々なことを詳しく知る姿勢を身につけてもらうことかもしれません。この場合ですと、自分自身のことについて自分で内省しながら日々を過ごしていく姿勢ですね。

 自分の状態をよく知ることで、自分がどうしたいのか、ということが見えるようになります。

 私の考えでは、その姿勢は勉強をする上でも活かされると思っています。学校の勉強は、本当に大きく見ると知識を身につけることと、分析的に物事を見つめることから成っていると思います(無論他にも様々な要素がありますが)。

 ですから、自分の事を細かく分析するということは、対象となる外界のものを分析することにもつながっていくと思うのです。

 また、他人の心を思いやる態度にもつながるかと思います。人間は他人の心を推測するときに何を手がかりとしているでしょうか?

やはり、自分自身がどう思うか、どう感じるか、といったことが手がかりとなるのではないでしょうか。「自分がされて嫌なことは人にしないようにしなさい!」そういうお説教をされたことがありますが、まさにそれですね。

自分のことを細かく見つめていくと、他人の心の推測の精度も上がるのではないかと思います。

 生徒にそのように感じてもらうためには、我々家庭教師自身が日々、自分達の授業はどうか?自分は生徒に参考にしてもらえるような生き方をしているのか?そのように考えていなければなりません。

 大げさなことではなく、普段から慣れていれば習慣になってしまいます(^_^)いつも自分達にたいするメタ認知的視点を持つようこころがけています。

のびなやみ

 生徒達(そして、我々家庭教師、保護者の皆様)を悩ませる現象が「のびなやみ」です。一生懸命勉強しているのに、さぼっているわけではないのに成績が上がらない、こういう事態は様々な局面で出てきます。


 なぜでしょう?人間の学習というのは不思議なもので、何事でもずっと右上がりに知識や技能が増え続けるということは無いようです。


 様々な実験もなされているのですが、それを詳しく書くよりもこれまで私が経験してきたことを書いたほうが良いかと思います(笑)もしそういった実験について詳しく知りたい!という方がいらっしゃいましたら、遠慮なくコメントしてくださいね。


 点数が低い生徒さんの場合、まず始めにこの「のびなやみ」があらわれます。これまでの勉強のやり方がうまくいっていなかったためか、とにかく基本の知識が身につくまでに時間がかかります、ここでまずのびなやみます。本人も教師もがんばっているのに成績には結びつかない状態です(実は答案の書き方などに変化は出るのですが、よく見れば)。


 ここで諦めてしまったり、目くじらを立ててクレームをつける保護者の方がいらっしゃいます。気持ちは本当によくわかるのですが、そんなにすばやく結果は出ません。


 出たとしてもそれは後に残らない知識です(無理やり覚えさせたり、テクニック的なことだけで本当の考える力に結びつきません)、とりあえずテストを乗り切るためのものです。結局入試の時にまた苦労しなくてはなりません。


 その最初の「のびなやみ」をこえるとするすると成績が伸びます。楽しい時期です(^_^)


 大体6~7割ぐらいの点数が取れるようになったところでまた、のびなやみます。この辺りの成績になると、基本は大体マスターできているのですが、発展応用問題に手がでないか、計算ミスが多いかになってきます。ここでやる気をなくしてしまう生徒さんもいます。


 生徒そして、保護者の方々に(家庭教師の方にも)知っていただきたいのは、学習は量をやればそれに比例して伸びるという考えは間違いだということです。


 もし適切なやりかたでやっていても「のびなやみ」は来ます。その時には周りがあたたかい目で見守り、一緒に工夫してがんばっていかなければ乗り越えられるものも乗り越えられません。


 「のびなやみ」の最中も意志を曲げず、しっかりがんばっていけば、また劇的に成績が伸びる時が来ます。家庭教師の皆様、保護者の皆様、協力して生徒さんのサポートをしていきましょう(^_^)

計算ミスの無くしかた 2

 前回は計算ミスの中でも暗算にたよりすぎるために起こる計算ミスの無くしかたについてお話しました。


 今日は、起こった計算ミスをいかに発見するかという「見直しによる計算ミスの無くし方」のお話をしたいと思います。


 見直し、というのもよく学校の先生や塾の先生から「見直しなさい!」「すばやく解いてひととおり見直しをするんだ!」と口うるさく言われた記憶のある方も多いと思います。ですが、この見直し、なかなかくせ者なのです。


 塾や家庭教師で生徒さんに見直し方法を聞くと次のような答えが返ってくることが多いものです。「まず一度全部といて、それで、初めからもう一度やり直します」「一問といたら見直します」なるほど、一見悪くないように見えます。


 ですが、その生徒さんの答案、計算ミスが多いんですね。「本当に見直ししたのか!!」と思いたくなりますが、これはその生徒さんが悪いわけではありません。見直し方法を変えるだけで変化が起きます。


 そういった生徒さんには次のようにアドバイスします。まず、人間というものはそんなに考え方が柔軟に変わる生き物ではありません(天才は除きましょう)。

 ですから、ほんのついさっき自分が解いた計算問題をもう一度同じやり方でやり直したって同じミスを繰り返すことが多くなってしまうのですよ。

 だから、もし見直すなら違った方法で計算して見直すことが必要ですよ。


 どういうことでしょう?例えば次のような計算を見直すときです。


 3×2×5÷2÷3×4×3÷2


Aさんは次のように計算しました。


「まず3×2×5で30と書いて、÷2÷3だから6ね、×4で24、×3で72、÷2で36」


 さぁ、正しいでしょうか?見直すときはどうしましょう?違った方法でやってみましょう。


「順番を変えてやってみよう。3÷3で1ができるわね(3と÷3に斜線)、2÷2でも1(2と÷2に斜線)、残ったのは、5×4×3÷2で、30!あれ違う…」


 ここで、先ほどの計算を見直して見ましょう。Aさんがやった計算で少し雑なところがありますね、÷2÷3を一度にやってしまっています。ここに落とし穴はないでしょうか?


「あ!÷2と÷3を一度にやるなら÷6にならないと!÷5にしちゃってる!」


このように、見直す時に違った方法でやることで、効率よく見直しができます。


次回は、視点の注意の移動による見直しのしかたをお話します。

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