考える力、動く力

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コミュニケーション能力について考えてみる

就職活動をしていたときに聞いた話であるが、
今企業が新卒の学生に求めているものの第一位は、
コミュニケーション能力だという。


では、「コミュニケーション能力」って
いったいどういうことなのか。
学生のうちに身につけておくべき
コミュニケーション能力について考えてみたい。




「コミュニケーション能力のある人」になるために、
大事なのは、大きく分けると二つだと思う。
「聴く力」と「コミュニケーション意欲」である。




まずは「聴く力」について。


極端だが、「コミュニケーションとは人の話を聴くことだ」
と言いきる人もいる。
それくらい、人の話を聴くというのは大事なことであり、
かつ、難しいことなのである。


優秀なキャバクラ嬢は、7割は客の話を聴き、
自分のことを話すのは3割だという話を聞いたことがある。
客を楽しませるためには
面白い話をする必要があると思ってしまいがちだが、
実際はそうではない。
人は自分の話をしているときのほうが楽しいものなのだ。
それでいて、客のほうは
「いつもこっちがお店の女の子を楽しませてやっている」と
思っているというから面白いものだ。




そして「コミュニケーション意欲」である。


「意欲」は「能力」ではないじゃないかと
思うかもしれないが、
結局「コミュニケーション能力のある人」とは、
コミュニケーションを楽しめる人のことなのだと思う。


また、コミュニケーションを楽しめる人は
人とコミュニケーションをとる機会も増えるから、
自然と人と話すのが上手くなる。
良い循環になるのである。


学生のうちというのは
気のおけない仲間と一緒にいるのが楽しい時期だったりするのだが、
狭いところで鎖国しようとせずに、
いろんな人と交わってほしいものだ。




最近、「引きこもり」や「ネット依存」の問題との関連で、
若者が対人コミュニケーションをとれなくなってきているという話は
よく耳にする。


しかし、「出会い系」や、
mixiなどのSNSの盛行ぶりからもわかるように
人は本来コミュニケーションを欲する生き物なのである。


ただ現代人は、器用な文明を手に入れてしまった代償として、
不器用に生きることを余儀なくされてしまったのかもしれない。







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横暴な札幌駅周辺の駐輪制度

平成17年10月1日から
JR札幌駅周辺の駐輪場は全て有料となっている。


今では、札幌駅付近に無料で自転車を駐輪できる場所はない。
一日でも停めておこうものなら
すぐさま遠いところまで持っていかれてしまい、
返してもらう際には罰金を支払わなくてはならない。




昨年、9月頃に突如として
「有料になります」という張り紙が
駐輪場に貼られだしたのを覚えている。


北海道大学はなんせ無駄に広いので、
構内を自転車で移動する学生が多く、
札幌駅の駐輪場を利用していた学生も多かった。


彼らにしてみれば、
夏休みが終わって学校に出てきてびっくり、
突然「月1000円ですよ」である。
腹を立てて当然であろう。




札幌駅周辺の放置自転車を一斉撤去し
道をふさぐ邪魔な自転車を減らすという
大義名分があったのだろうということはわかる。


だが結果としては、
これまでぎゅうぎゅうに収納されていた駐輪場ががらがらになり、
代わりに駐輪場でないところに駐輪される自転車が増えた。


それを係の人があほみたいに頻繁にチェックし、
「ここに停めてたら持って行っちゃうぞ」なんて注意したり、
実際にトラックでまとめて持っていったりしているわけだ。
もちろん多額の人件費をさいてである。




これは、米農家の保護にも似た、
「守りの政策」である。


私は基本的にこの守りの政策が嫌いである。
根本的な問題解決にならない場合が多いからだ。




自転車の利用者が増えた背景には、
不景気による節約志向や、環境や健康への配慮がある。
これを結果として抑圧するようなやり方には
非常に疑問を感じる。


むしろ国として、地方自治体としては
車から自転車への乗り換えを推奨するべきであるし、
そのために駐輪場等の設備をより十分にするべきである。


それが「攻めの政策」というものであると思う。




ではこの攻めの政策は、
具体的にどのようにして実現可能であるか。
このことについては、またいずれ考えを述べたいと思う。


ドキッ!漢字だらけのワープロ文章

近年、文章の多くが
「手書き」から「タイピング」に移行したことで、
文章中で漢字が使われる割合が増えたという興味深い指摘が
いくつかのブログでされていた。
(下記「参考」を参照のこと)


パソコンの場合、
変換キーを押すだけで簡単に漢字が表示されるため、
漢字があるなら漢字のほうが良いだろうということで、
普段ひらがなで書いているような言葉まで
漢字にしてしまいがちであるということだ。


特にブログ中では「この事」「いまの所」といった
形式名詞について言及されていたが、
ほかにも「勿体無い」「色々取り揃える」「漸く出来た」
などが思い浮かぶ。




このような傾向があるのは事実だと思うが、
本来的には、逆であるべきではないかと思う。


つまり、
パソコンだからこそ積極的にひらがなを使えるはずではないか
と思うのである。


なぜなら、手書きであれば、
漢字を使わないと「あ、こいつ漢字知らないな」と
思われるかもしれないが、
パソコンであれば、誰でも漢字になおせるわけだから
ひらがなで書いてあっても、
あえてひらがなで書いたのだということがわかるはずだからだ。




しかし、なかにはもっと工夫をされている方もいるようだ。
atablogによれば、
あえてひらがなを使う際には、


>「こいつ、漢字を知らないな。」 と、思われないように、
>「  」 を、使うのがコツ。


らしい。
参考にしてみてはいかがだろうか。




自分自身、思い当たるところがあったため、
今回の記事は意識してひらがなを使うようにしてみた。
読み返してみると、確かに読みやすく感じる。
以後気をつけていきたい。




 参考


形式名詞 (書籍編集者の校正日記)
事のこと、時のとき (ピリオドの彼方に)
【漢字】 と 【ひらがな】 (atablog)


生徒に何を伝え、何を伝えぬか

近年、医療界では
「インフォームド・コンセント」が重要視されている。


インフォームド・コンセントについて
Wikipediaでは、以下のように説明されている。


 >インフォームド・コンセント (informed consent)
 >(以下、IC) とは、医療行為(投薬・手術・検査など)や
 >治験、人体実験の対象者(患者や被験者)が、
 >治療や実験の内容についてよく説明を受け
 >理解した上で(informed)、施行に同意する(consent)事である。
 >説明の内容としては、
 >対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、
 >副作用や成功率、予後までも含んだ正確な情報が
 >与えられることが望まれている。


これは、自分の体のことなのだから
しっかりと知っておきたいという
患者の主体性の現れであろう。




しかし、実のところは、
患者が知るべき情報とそうでない情報があるだろうと思う。


私事であるが、今歯科に通院中であるので、
歯科での治療を例に挙げて考えてみよう。




まず、患者が知っておきたいと思う情報として
思い浮かぶこととしては、
1. 治療の全体像
2. 現在の状況
3. その治療の必要性 といったものが挙げられる。


1. 治療の全体像というのは、
治療の開始から治療の終了までの流れである。
どのような状態の虫歯であって、
それをどういう手順で治療していくのかということは
患者にとって知っておきたい部分であろう。
もちろん虫歯が複数ある場合には、
どの歯からどういう順番で治療していくかということも
前もって知らされておきたいものであろう。


2. 現在の状況というのは、
治療の全体像の中の現在どの部分に位置しているかという情報である。
これを随時知らされることで、
どれくらいのペースで治療がすすんでいるのかを
患者が把握することができる。


3. その治療の必要性というのは、
なぜそのような方法で治療をする必要があるのかということである。
例えば、抜くならなぜ抜かねばならないか、
銀歯にするなら、なぜ銀歯にせねばならないか、である。
特に患者にとっては、
不必要な治療によってぼったくられない為にも
重要な情報である。
インフォームド・コンセントの中核をなす部分であろう。




では逆に、患者が知りたくない情報とはどのようなものであろうか。


歯医者の場合、真っ先に思い浮かぶのは、
痛みに関する情報である。
もちろん、痛みを伴う治療をする前には
「ちょっと痛いかもしれないよ」と言われることによって
心の準備ができるというメリットはあるが、
その反面、
痛いのだという先入観を形成してしまうというデメリットもある。


例えば同じ痛みでも、
「針を刺すよ」と言われるのと
「表面を撫でるよ」と言われるのとでは
後者の方が痛くない気がしないだろうか。
そういう意味では、
時に嘘をついたほうが良い場合もあるかもしれない。


話を歯科に限らなければ、
癌の告知についての問題を考えると分かりやすいだろう。


癌なら癌とはっきり言ってほしいという人もいれば、
癌だと告げられてショックで倒れてしまう人もいる。
インフォームド・コンセントは、
単純に患者に全て伝えれば良いというわけではなく
場合によって何を伝え、何を伝えないかということを
判断しなければならないことに難しさがあると思う。




ここまで書けばお気づきのことかと思うが、
これは勉強の指導に当てはめても同じことなのだ!
ということを要は言いたかったのだ。


なぜ今勉強しなければならないのか、
なぜこのような勉強方法が有効なのかということは
生徒にとっては極めて重要な情報である。


反面、敢えて伝えないほうが良い情報もある。


例として、小学校の内容が理解できていない中学生に
小学校の問題をやらせる際のことを考えてみよう。


「これは小学校の問題だから出来て当然。出来なきゃヤバイ。」
と伝えられて、
「やばい、頑張んないと!」と
危機感を持って取り組むことができる生徒もいれば、
「どうせオレはもう勉強はダメなんだ。」と
すっかり開き直って諦めてしまう生徒もいる。


「この問題は難しいから、解けたらすごいよ。」
と伝えられたとしても、
「おお、オレってけっこう勉強できるんじゃん。」と
自信をつけてやる気を出す生徒もいれば、
「やっぱ勉強なんてしなくてもオレはやれば出来るな。」と
危機感を無くしてしまいマイナスになる生徒もいる。


やはり万人に共通の法則やマニュアルなどはなく、
生徒一人一人にとって何が最善の策であるかを
常に模索しなければならないのが
授業であり、教育なのである。




 参考


インフォームド・コンセント (清水和夫のブログでDialog)
インフォームド・コンセント (Wikipedia)

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「勉強は出来ないもの」と思い込むには早すぎる10代

人間は、体が大きくなるにつれ、
知能も成長する生き物だ。


しかし、知能の成長というのは目には見えないから、
自分が大人になった容姿は想像できても、
思考が変化するなんて想像できないという人が多いと思う。


しかし、知能は確実に成長する。




これまで家庭教師で受け持った生徒でも、
ある時から急に問題が解けるようになった生徒が何人もいた。
単に解法が身についてきたという感じではなく、
わからない問題に対するアプローチの姿勢が
急に変わったりするものだから、
これは自分の指導の成果だけではないなと思っていた。




自分自身も、以前はできなかった問題が簡単に解けるということはよくある。
例えば、推理小説の犯人や、手品のトリックなどがそれである。
以前は全く分からなかったのに、
最近は簡単に答えが分かってしまうことが多くなった。


高校の時や、大学1年くらいの時から比べても、
考え方が結構変わったなと自分で実感できる。
今思うと、以前の自分の考えは甘かったなと思う部分もあるし、
もう一歩踏み込んで考えるべきだったと反省する部分も多い。
なぜあんなことを考えていたのかと理解できないことすらある。


もちろん、知能の成長とここで言っているのは
単に生物学的な成長だけを言っているわけではない。
多くの経験を積み、いろんな人と交わることも当然影響してくるだろう。
それも含めての成長である。




最も危惧すべきは、
若いうちに「おれはバカなんだ」と決め付けてしまい、
考えようとすることをやめてしまうことである。


サーカスの象の話を聞いたことがあるだろうか。


サーカスの象は、小さな杭につながれている。
あれだけ大きな象なのだから、力を出せば杭を抜けるはずなのに、
決して杭を抜こうとはしない。
なぜか。
それは、象が小さい頃から杭につながれていたからである。
小さい頃の象にとっては、その杭は頑丈なもので、
抜こうと力を出しても抜くことができなかった。
だから象は、その杭は抜けないものと決め付け、
大きくなってからも決して杭を抜こうとは考えないという話である。


人間だって同じことだ。
若いうちに「おれは頭が悪いんだ」と決め付け、
考えようとすらしなくなってしまっては実にもったいない。


10代は、勉強ができないと思い込むには
あまりに早すぎるのである。




 参考


サーカスの象になるな! (Digital Style)

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