考える力、動く力

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試験時のど忘れと気分状態依存効果

認知心理学の領域で、
ある気分状態のときに記憶した情報は、
同じ気分状態のときに思い出しやすくなるという話がある。

つまり、楽しい気分で体験した思い出は、
楽しい気分のときほど思い出しやすいということである。

これを、気分状態依存効果という。


このことを勉強に当てはめて考えると、
学習時の気分状態と、試験時の気分状態は
同じであったほうがいいということになる。

試験のときに、勉強したはずの内容が思い出せないという経験は
誰にでもあると思うが、
この気分状態という側面から考えると、
試験時は学習時よりも緊張しているはずである。
受験など大事な試験であればあるほど、である。

この気分状態のギャップをうめるためには、
普段の学習時から緊張しておくか、試験時の緊張を軽減するかしかない。

学習時から緊張感を保つためには、
学習する環境を頻繁に変えてみるといい。
図書館、ファミレス、放課後の教室など、場所を変えてみたり、
あるいは一緒に勉強する人を変えるというのもいいだろう。
また緊張感を保つためには、
常に時間を計りながら勉強するのも効果的である。

試験時の緊張を減らすためには、試験に慣れることだ。
そのために、受験前には、模試などを多く経験しておきたい。


いつも勉強したはずなのに試験本番で思い出せず
悔しい思いをしている人には特に試してみてもらいたい。

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「恐怖」というビジネス基盤

小学四年のとき、ある本で読んだ
「読んだら最低3人に話さなければ呪われる話」
みたいなのを、冗談で友達に話してみたところ
またたく間にクラス中に広まり、学級問題となって、
「発生源はおまえか」と、先生にこっぴどく叱られたことがあった。


この経験から、ちいさいながらに
「いたずらに人の恐怖心を刺激してはいけないのだ」
ということを学習したのだった。




「恐怖」というのは、人の行動を左右する大きな要因のひとつである。


人の恐怖心につけ込んだビジネスというのは非常に多い。


「添加物は怖いですよ~。だからこの無添加食品を!」
「水道水は怖いですよ~。だからこの浄水器を!」
「事故は怖いですよ~。だからこの保険を!」という感じで
いくらでも文章が作れそうだ。


教育業界もまた然り。


「ゆとり教育は怖いですよ~。だから塾を!」
「だから家庭教師を!」「だから通信教育を!」
といった具合である。


この原理があるから、必要もない高額の教材を売りつけるような会社が
いつまでもなくならないわけだ。




いつでも何か恐怖心が刺激されたときには、
そこに何者かの意図がはたらいていないか注意するべきだ。


「恐怖心につけ込んだビジネスは怖いですよ~。だから対策を!」
とささやかれる前に、自身で目を光らせておく必要がある。

頭が固いと情報が入ってこない

 頭が固いと受け取る情報量が少なくなります。世界に向かう姿勢や態度によって、受け取ることができる情報量に差ができるのです。

 どういうことでしょうか?例えば、今ここに「Aさんのことが大嫌いなの!」と主張するBさんがいたとします。あなたはAさんも大切な友人だと思っています。Bさんの態度を変えることはできるでしょうか?

 大変難しいのが現実です。特に原因無く主張している場合は難しいと思います。表面上は理由を挙げていても、その理由が排除されたからと言って好きになるということはなかなか珍しいことです。

 なぜでしょう?あなたはきっと「Aさんはこういう良いところもあるし、あなたのことを敵視もしてないわよ」とか「AさんはBさんのこと褒めてたわよ」などと色々手をつくして二人の間を取り持とうとすると思います。

 ですが、Bさんは自分の姿勢を決めてしまっているので、そのような情報は入ってきません、入ってきたとしてもその理由付けを悪いほうへ悪いほうへ解釈します。「敵視してないように見せるのがうまいだけよ!」「褒めていた?またおべっか使って!!」…

 もちろんこんな人ばかりではありませんよ(笑)

 しかし、人間には多かれ少なかれこういった「固定観念の網」とでも言うべきものを持ってしまうことがありえます。

 「こうに違いない!」という強固な思いは、良い場面で発揮されるとすさまじい力となるのも事実ですが、あまりに決めつけが激しくなってしまうと冷静な判断ができない、周囲が見えなくなってしまう、新しい知識や状態についていけなくなる、などの問題が出てきます。

 人間は主観から逃れることはできないと思います。それは仕方がありませんが「人間は固定観念を持つものである」「情報を制限し誤った決定を下すことがある」ということをメタ認知的に知っているだけで事態はかなり変わってきます。

 私も気をつけなければと普段から用心しております。といっても、ついつい色眼鏡に手が伸びてしまいます(^-^;反省の連続です。

たとえば「腐ったみかん」という発想

昨日の「太田光の私が総理大臣になったら」で、
女医の西川史子さんが「腐ったみかん」と発言したことに対し、
ヤンキー先生こと義家弘介さんが
「あなたに教育を語る資格はない!」と激怒した。


しかし大田総理は、ヤンキー先生のこの発言を批判した。
「誰にだって教育を語る資格はある」ということである。


確かに、と思った。
教育対象としての生徒の中から「腐ったみかん」を排除するということが
よからぬことであるなら、
教育を語るものの中から「腐ったみかん」という思想をもつものを
排除することについても同様なのではないか、ということだ。


「聖職」という言葉に象徴されるように、
これまでの教育に関する議論には、
確かにこのようなきらいが含まれていたように思う。
つまり、「我々が日本の教育を担うんだ」という変な自負心というか、
「教育に携わるもの」についての、暗黙の前提である。


そのなかで、自然とタブーとされるような言葉ができてきた。
「腐ったみかん」「落ちこぼれ」「クズ」などなど。




もちろん、人に向かって「おまえはクズだ」ということは、よくない。
しかし、それは教育どうこうという以前に、
普段の社会生活において問題視されるべきことであろう。
こと教育という領域に関してのみ特別視されるべき問題ではない。


逆にいえば、教育の世界で大事にされるべきことは
他のどの分野・領域においても大事にされるべきことなのである。


なぜなら、教育の基本は「人」なのだから。


いろんな人のいろんな思想や行動を受け入れ、
理解しようと努めることが、
いろんな生徒を教育する上では必要不可欠ではないだろうか。


メタ認知的視点を身につけよう

自分のしていることを自分で客観的に観察や判断をすることってありますよね。例えば、ダイエットの計画を立てるときなどどうでしょう?

 無理な計画を立ててしまった自分をふと見直して「いやいや、自分は毎日3km歩くなんて厳しい計画を立てると、必ず面倒になってやめてしまうだろうな」などと言うときです(^_^)これをメタ認知といいます。

 メタ認知とはなんでしょうか?自分のしていることを一つ上の視点から客観的に認識するということなんです。自分のことを見つめるということですね。認知心理学という分野で言われている知見です。学習においてもこのメタ認知、非常に大切になってきます。

 自分がどのような覚え方をしているか、自分の間違いやすい問題はどのようなものか、自分の現状はどうか、自分の目標は何か、目標を達成するにはどうすればよいのか。様々なメタ認知が考えられます。

 我々家庭教師の仕事は生徒達に様々なことを詳しく知る姿勢を身につけてもらうことかもしれません。この場合ですと、自分自身のことについて自分で内省しながら日々を過ごしていく姿勢ですね。

 自分の状態をよく知ることで、自分がどうしたいのか、ということが見えるようになります。

 私の考えでは、その姿勢は勉強をする上でも活かされると思っています。学校の勉強は、本当に大きく見ると知識を身につけることと、分析的に物事を見つめることから成っていると思います(無論他にも様々な要素がありますが)。

 ですから、自分の事を細かく分析するということは、対象となる外界のものを分析することにもつながっていくと思うのです。

 また、他人の心を思いやる態度にもつながるかと思います。人間は他人の心を推測するときに何を手がかりとしているでしょうか?

やはり、自分自身がどう思うか、どう感じるか、といったことが手がかりとなるのではないでしょうか。「自分がされて嫌なことは人にしないようにしなさい!」そういうお説教をされたことがありますが、まさにそれですね。

自分のことを細かく見つめていくと、他人の心の推測の精度も上がるのではないかと思います。

 生徒にそのように感じてもらうためには、我々家庭教師自身が日々、自分達の授業はどうか?自分は生徒に参考にしてもらえるような生き方をしているのか?そのように考えていなければなりません。

 大げさなことではなく、普段から慣れていれば習慣になってしまいます(^_^)いつも自分達にたいするメタ認知的視点を持つようこころがけています。

我慢の大切さ、我慢しないために考えることの大切さ

小学生だったとき、
教室で席替えをする際にもめたことがあった。


そのときの席替えは、
まずくじ引きで6人ずつの班に分かれ、
班の中での席は、班のメンバーで相談して決める
という方法をとっていたのだが、
ひとつだけ、いつまでも話し合いがまとまらない班があったのだ。


ある者は「○○くんが隣だと、うるさくて授業に集中できない」と言い、
ある者は「前に○○くんが座ると黒板が見えない」と言った。
ある者は「目が悪いから前の列がいい」と言い、
ある者は「私は寒がりだから戸のそばは嫌だ」と言った。


そこで先生がクラスの皆に対して問うた。


「みんなはどうすればいいと思いますか?」


他の生徒から次々に提案が出された。


「○○ちゃんが前に座って、○○くんがその横で・・・」
「いや、○○くんが後ろに座って・・・」


そのどれもが、あちら立てればこちらが立たぬという
感じのものであった。




まだ手を上げている生徒がいる中で、
先生はそれを打ち切って、ゆっくりと話した。


「全員の希望が常にかなうわけではない。
誰かが我慢しなければならない。」


実際にはもっと多くの言葉を使ったと思うが、
つまるところ、先生はそういう意味のことを話した。


そしてその後、その班の中に
「私、ここでいいよ」という者が現れ、
席替えは無事まとまることができた。


教師がこの席替えという機会をうまく利用したことで、
生徒たちは「誰かが我慢しなければならない」ということを
学ぶことができたのである。
今考えても、教師の力量を感じさせる授業であったと思う。




しかし、当時の私は、全く別のことを考えていた。


「全員の希望がかなう方法があるじゃないか」
ということである。


そして、そのような理想の解決策は、実際にあったのだ。
(私も手を上げていたが、当てられる前に打ち切られてしまった・・・。)


では、なぜ他の生徒たちは
それを見つけることができなかったのだろうか。


それは、班のメンバー全員の主張を
正確に把握できていなかったためである。


他の生徒から出される意見を聞いていると、
「○○くんの隣が嫌だということは、○○くんの隣も嫌だろうな」
というような勝手な推測が含まれていたり、
「○○さんは前回も○○さんの隣だったから今度は違うほうがいいだろう」
というように、
本人の主張とは違う点を重要視しているような意見が多かった。


つまり、最初にメンバーひとりひとりが
最も重視する点を確認しておき、
それが全てかなう方法を模索していけば
おのずと解決策は見つかったはずなのである。


このような問題解決について考えさせることも
また大切なことだったのではないかと思う。




我慢することの大切さを学ばせることは、重要なことである。
子が我慢することが少なくなったといわれる
このような時代においては、なおのことである。


しかし、一方で、常に最善の方法を探すために
考えられることは全て考てみるということも極めて重要である。
ものごとをすぐに諦めてしまう子が多いといわれる
このような時代においては、なおのことである。




いつでも、我慢をする前に、
それが必要な我慢か、不必要な我慢かを考えるべきだ。


そうでなくては、
常に決まった者が得をし、
決まった者が我慢させられることになってしまう。




美女と美人はどっちがべっぴんか

atablogに、面白い問題が載っていたので
紹介させていただく。


「美女」と「美人」は、どっちがより美しいか?というものだ。


元ネタは、タモリのジャポニカロゴスという
テレビ番組らしい。




他にも、


・「いっぱい」と「たくさん」では、どちらが多いか
・「えっ!」と「あっ!」では、どちらがより驚いているか
・「へま」と「どじ」では、どちらがダメ人間か


というものが紹介されていた。


ちゃんとその根拠も述べられていて、
「なるほど」と思ってしまった。




答えが気になる人は、↓にて。


 どっちがスゴイ? (atalog)




そういやナップスターについて

つい先日、ナップスターで、来るか音楽定額時代という記事を書いた。


せっかくなので、
使ってみている方のレポートをいくつか紹介させていただく。
導入を検討されている方は参考にすべし。




ナップスター試用中 (S-40 ~ミドルエイジの思惑~)
疲れモード全開。 (暇つぶしノート)
カレー曜日&狂った音楽 (ヒトちゃん♪のぽれぽれ日記)
ナップスター (Chobi's Garden)
ナップスター不完全レポート (EVEREST)




顔の見える家庭教師派遣を

これまでに、札幌市内のいくつかの派遣会社で
家庭教師のアルバイトをしてきましたが、
中には、「先生、個人契約にできないかしら」と
相談されるご家庭もございました。


当然のごとく、どの家庭教師派遣会社でも
個人契約を固く禁止しているのですが、
ご家庭からそのように相談される度に、
断わるために非常に苦労しました。


「すいません。禁止されているので。」
という理由しか思い浮かばないのです。


私には、仲介料をとられるだけの恩恵を
会社から受けているとは思えませんでした。
しいていえば、もし何かご家庭とトラブルがあっても
会社に頼れるかなという保険程度のものです。


きっとそれは生徒のお母さんも同じで、
高い「管理費」を払うだけの「管理」を
会社がしてくれているとはとても思えなかったのでしょう。




当考動力研究会では、
このような、なあなあになっている業界の古い常識には
染まりたくないと考え、
そのために日々努力しております。


目指すは「顔の見える」お付き合い。
教師にとっても家庭にとっても、
必要な存在と認められることが絶対条件だと考えています。


このような理由から、
当会では、個人契約を特に禁止していません


教師やご家庭が個人契約をしたいと思うようでは、
まだまだこちらが未熟だということことです。




早くこれが業界のスタンダードになってくれることを
願うばかりです。




ナップスターで、来るか音楽定額時代

ナップスタージャパン(Napster Japan)による
音楽配信サービス「ナップスター」が
10月3日からスタートした。


これは、曲単位、アルバム単位での購入が基本だった
従来の音楽配信サービスと異なり、
定額料金を払えば、
登録されている音楽が無制限で聴き放題というもの。
(曲単位での購入サービスも一応あるようだ。)


ダウンロードしてパソコンで聴く分には、月額1280円。
月額1980円払えば、ポータブルプレイヤーへの転送が可能。
現時点で、定額対象の楽曲は約150万曲。
洋楽が中心で、邦楽はまだ約2万曲にすぎない。




現在、一週間の無料体験ができるようになっている。


「じゃあ無料の一週間で曲を大量にダウンロードしておいて
無料期間が終わった後にゆっくり聴けばいいじゃん」
なんて思うかもしれないが、どっこいそうはいかない。
サービスを解約してしまうと、
それまでにダウンロードした楽曲は聴けなくなってしまうのだ。


※また、無料体験期間のみの利用でも
 初めにクレジットカードの情報を登録する必要があり、
 無料期間経過後は自動的に有料会員扱いとなってしまうので
 注意が必要。




みたところ快適そうなサービスであるが、
個人的には、少し抵抗がある。


まず、音楽に対して、
「お手軽」とか「気軽」という概念を持ち出すことに
違和感を感じるのである。


Broadband Watchでは、早くもレポートが載せられているが、
ここでも次のように書かれている。


>この感覚はADSLやFTTHなどのブロードバンド導入時にも
>似ていると感じた。
>ブロードバンドは単に高速なだけでなく、
>どれだけ接続しても料金が一定だからこそ、
>好きなときにWebサイトを巡回したり、
>オンラインショッピングを気軽に楽しめた。
>音楽配信も定額かつ好きな楽曲を選んで聴けることが、
>今までにない音楽の楽しみ方を実現している。


音楽の楽しみ方は人によってそれぞれであろう。
そして、近頃の、携帯電話の「着ウタ」や
極小サイズのポータブルオーディオ、
そして音楽の配信サービスなどの盛行ぶりを見るに、
音楽を
「空気のように身近な存在」として、
「障害なく利用できるもの」として、
「そこそこプラスになるもの」として楽しんでいる者が
多いのであろうと推測できる。


きっと私はそこに抵抗を感じるのである。
音楽を聴くときは、「真剣勝負」のつもりで聴いてほしいし、
「わざわざ」音楽を聴いてほしいし、
一曲一曲に「ありがたみ」をもって聴いてほしい。




また、ナップスターのホームページをみても、
私のもっとも嫌いなタイプのフレーズが書かれていた。
次のようなものである。


>洋服選びを楽しむように、気分やシーンに合わせて、
>150万曲のなかから音楽を選ぶ。
>ナップスターで、そんな素敵な毎日をスタートさせましょう。


声を大にして言いたい。
音楽はファッションじゃない。
やはりこのホームページの言葉に象徴されているように、
このような定額配信サービスというのは、
流行に合わせて服を着飾るように、
流行の音楽を着飾りたいような人向けなのではないかと思ってしまう。


月額料金を払っている以上、
毎月新しい曲をダウンしなければモトがとれない、
すると特定の曲ばかり聴くことができない。
かといって、解約してしまえば
それまでにダウンしていた曲まで聴けなくなってしまう。
このような性質から考えても、
次々に音楽を使い捨てにしていく人向けということになるだろう。


もちろん、いろんな音楽を試聴するために利用して、
その中で見つけたお気に入りの音楽をCDで買う
ということも可能であるが、
そのために月額1280円はちょっと高い気がする。




物事の「楽しみ方」なんて、
他人に押しつける性質のものでないことは重々承知しているのだが、
音楽に関してはつい熱くなってしまう・・・。
今回の記事は、ひとりの男の美学だと思って、
さらっと読み流してもらいたい・・・。




とはいえ、現実的なことを考えても、
まだ「音楽定額時代」というのは
メインストリームにはならないのではないかと予想している。


まだまだ、「聞き流し」ではなく、
音楽を手元に「所有」したいと考える人も
多いのではないだろうか。




言葉を正しくつかうということ

「最近の若者は言葉遣いがまるでなってない」
なんて話を耳にすることは決して少なくないと思うが、
今回は「正しい言葉遣い」について考えてみたい。




前提として初めにひとつ確認しておきたいのは、
言葉というのは流動的なものであり、
常に変化するものだということである。


古い言葉が次々に使われなくなっていき、
次々に新しい言葉が誕生する。
これは世の中が常に変化していることを考えれば
当然のことである。




さて、コミュニケーションツールとしての
言葉のはたらきに限っていうならば、
当然、言葉は伝わらなければならない。


コミュニケーションにおいては、
辞書的な意味での「正しさ」よりも、
「双方が同一の意味で理解できること」が
何よりも重視されるべきであるというのが私の考えだ。


つまり、若者が老人に向かって
「パケ代チョーヤバイからパケほにしたい」
なんて言ってもおそらく伝わらないのと同じように、
老人が若者に対して
「志学のときじゃぞ」なんてことを言って、
「近頃の若者はこんな言葉も知らないのか」
などと言うのもおかしいということだ。


世代によって文化が異なり、
その世代の文化にとって必要な言葉がつかわれるものなのである。


だからマスコミなんかが
「『□の下の力持ち』の□に、
『縁』と答えられた高校生はたった○○%」

なんてことを得意げに報道しているのを見ると
あほらしくなってくる。
縁の下なんて見たことのない高校生のほうが多いのである。


それならば同じように
「『キレる』と『逆ギレ』の意味の違いを
正しく説明できた主婦は○○%」
というのをやってほしい。




また、「全然良い」というような
「全然+肯定形」の表現や、
「食べれる」といった「ら抜き」の表現を
嫌う人も多いが、
「正しくない言葉だからつかうな。」ではなく、
なぜこのような表現が用いられるのかを考えてほしい。


そうすれば、
「全然良い」というのは単に「非常に良い」と同義ではなく、
「(予想・期待に反して)良い」というような
ニュアンスが含まれているということや、
「食べられる」では受身か尊敬か可能かわからないが、
「食べれる」ならすぐに可能表現だとわかるという点で便利である
ということにも気が付くはずである。




最後にことわっておくが、
私は「古い言葉なんて存在価値がない」
ということを言っているわけでは決してない。


最初にことわった通り、ここまでの話は
あくまでコミュニケーションツールとしての
言葉のはたらきのみを考えた場合の話である。


ここでは詳しく述べることはしないが、
言葉というのはそれ自体が美しいものであるし、
カッコイイ表現、きれいな表現は
消えずに残っていてほしいと強く思っている。


学校で古典を学習することの意義のひとつは
そこにあると思う。


のびなやみ

 生徒達(そして、我々家庭教師、保護者の皆様)を悩ませる現象が「のびなやみ」です。一生懸命勉強しているのに、さぼっているわけではないのに成績が上がらない、こういう事態は様々な局面で出てきます。


 なぜでしょう?人間の学習というのは不思議なもので、何事でもずっと右上がりに知識や技能が増え続けるということは無いようです。


 様々な実験もなされているのですが、それを詳しく書くよりもこれまで私が経験してきたことを書いたほうが良いかと思います(笑)もしそういった実験について詳しく知りたい!という方がいらっしゃいましたら、遠慮なくコメントしてくださいね。


 点数が低い生徒さんの場合、まず始めにこの「のびなやみ」があらわれます。これまでの勉強のやり方がうまくいっていなかったためか、とにかく基本の知識が身につくまでに時間がかかります、ここでまずのびなやみます。本人も教師もがんばっているのに成績には結びつかない状態です(実は答案の書き方などに変化は出るのですが、よく見れば)。


 ここで諦めてしまったり、目くじらを立ててクレームをつける保護者の方がいらっしゃいます。気持ちは本当によくわかるのですが、そんなにすばやく結果は出ません。


 出たとしてもそれは後に残らない知識です(無理やり覚えさせたり、テクニック的なことだけで本当の考える力に結びつきません)、とりあえずテストを乗り切るためのものです。結局入試の時にまた苦労しなくてはなりません。


 その最初の「のびなやみ」をこえるとするすると成績が伸びます。楽しい時期です(^_^)


 大体6~7割ぐらいの点数が取れるようになったところでまた、のびなやみます。この辺りの成績になると、基本は大体マスターできているのですが、発展応用問題に手がでないか、計算ミスが多いかになってきます。ここでやる気をなくしてしまう生徒さんもいます。


 生徒そして、保護者の方々に(家庭教師の方にも)知っていただきたいのは、学習は量をやればそれに比例して伸びるという考えは間違いだということです。


 もし適切なやりかたでやっていても「のびなやみ」は来ます。その時には周りがあたたかい目で見守り、一緒に工夫してがんばっていかなければ乗り越えられるものも乗り越えられません。


 「のびなやみ」の最中も意志を曲げず、しっかりがんばっていけば、また劇的に成績が伸びる時が来ます。家庭教師の皆様、保護者の皆様、協力して生徒さんのサポートをしていきましょう(^_^)

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